ゴミはゴミ箱に


過去編 ...01

ゴミはゴミ箱に

「さやかー」
鼻にかけた甘ったるい声が、自分の名を呼ぶ。“いつもの顔”に戻らなければ。

「んー?どしたー?」
「今日さー、この間話してたパンケーキ屋さん行かない?」
「おー行こ行こ!」
「あ、でも…」

同じように“年頃の娘”らしい振る舞いに気を付けながら、高揚感を表すように数歩おどけて走ってみせた。しかし、急降下した気分の声が返ってくる。

「“あそこ”は通りたくないし、面倒だけど電車で行こう」

またも爽は同じように、神妙な顔を作ってみせた。



両親は健在。兄妹はおらず、一人娘らしく、少々過保護に育てられた。母親は過干渉であり、何かあればすぐに声をかけ、一から十まで支度をしてくれるような人であった。父は、母ほどの過干渉でもなく、逆に放任という訳でもなく、仕事で疲れた顔を見せつつも、時折声をかける程度であった。
平日には元気に学校へ通い、4人の友人とお昼ご飯を食べる。その日あったことや、先生の愚痴、気になる異性や気に入らない同性の影口を言う。放課後には、両親から貰っている少しばかりのおこずかいをやりくりしながら、日が暮れるまで同じような会話を続ける。家に着けば、最近帰りが遅いのではないか、と母親に文句を言われ、だって○○が、と友人の名前を出す。スーツから着替えた父が、もういいじゃないか夕飯にしよう、と言えばそこで説教は終わり、おかずが3、4品ほどの夕食を食べる。与えられた携帯電話をベッドで寝転がりながら操作し、友人たちとのいつも会話と同じような内容をメールで送り合う。母親にお風呂に入りなさい、と3回ほど言われて重い腰を上げ、たっぷり湯を張った浴槽に浸かる。そしてまた携帯電話を操作しながら、気付いたら朝になっている。
休日には、友人と外出したり、家族と食事に行ったりと、特に決まってはいないながらも、平日の退屈さを吹き飛ばすように遊ぶことが多い。そして、休日の疲れも残ったまま、また平日がやってくる。

そんな毎日だった。


満たされ、平穏で、取り留めもなく、時間が過ぎていく。だが、爽の心には、一点の曇りがあった。

満たされた毎日を享受しながらも、「このままで良いのだろうか」という疑問であった。自己形成の真っ只中である17歳という年齢を考えれば、この思考は至って“普通”であり、然程心配するほどのことではないと考えるだろう。しかし、爽の疑問は、“普通”ではなかったのだ。




車内の窓枠がまるでスライドショーのように、風景を切り取る。友人が携帯電話に夢中なその瞬間だけ、一つの切り取られた風景を横目で見つめた。



先ほど“あそこ”という単語で形容した場所である。特にその土地の名前があるわけでもなく、別段区切られていることもない。私は『ゴミ溜め』と呼んでいる。もちろん私だけが呼んでいて、友人との共有をしている訳でも、両親にそう教えられた訳でもない。『ゴミ溜め』は、一言でいえば、貧困街である。柄の悪い連中がたむろし、路地裏には猫の死骸よりも、“ヤバイ”ものが平気で転がっている。
そんな治安の悪い街であっても、住んでいる人がいるのだから『ゴミ溜め』などと言い表したらいけないのではないか。博愛主義者ならばそう咎めるだろう。別に、自分とそこに暮らす住人を比較してそう呼んでいる訳ではなかった。むしろ私は、“人間はみなゴミである”とさえ思っているのだ。

“人混み”とはよく言ったものだ。音だけ聞けば“人ゴミ”に聞こえる。これが真意。
数多ある人間の存在は、一つとして確立した個ではなく、どれもどこかで見たような姿形をしており、中身もそんなに差がない。団栗の背比べを学校という平和な括りの中で行ったり、企業内で行っていたりする。判で押されたような顔に、同じ服装を着せられ、軍隊のように足並みを揃えて歩く。この街は巨大なお人形ごっこなのだ。“壊れてしまえば、ゴミ箱行き”である。そして、最近よく思うのである。
みんなみんな、ゴミ箱に行ってしまえばいい、と。


突然、こう思うようになったのではない。しかし、きっかけはあった。その“きっかけ”を境に、プツリ、と糸が切れてしまったかのように、自分の底にあったどろどろした得も言えぬ“何か”が溢れ出した。それは、私をどんどん侵食し、日常に支障が出るほどまでに、食い潰した。すべてを理解した。悟った。悲しかった。感情も溢れ、止めどなく流れる涙は生暖かく、口角は歪に上がっていた。腹の底から低音の笑いが響き渡り、喉を震わせた。
ああ、なんてことだろう。人は、ちょっとでも皮を剥けば血肉が在り、普段食している肉と大差のないものが詰まっている。臓物は絖った体液を身にまとい、ぐちゅぐちゅと水音を立てて飛び出るし、骨は石灰のように脆いし、血は赤黒い粘液のように固まったり、床を汚したりする。全部全部、分解して、解体して、還元してしまえば、なんて脆い。なんて虚しい。なんて哀しい存在なのだろう。

なんて、汚いのだろう。早く、早く“ゴミ箱”に入れなくちゃ。








友人の呑気な声で、振り返る。自然を装った笑みを浮かべながら、適当な相槌を打ち、17歳の女子を演じた。


早く、“いつもの顔”に戻らなければ。

sowの過去編。"爽"だった頃の話。

"きっかけ"は実はアヂアくんの作った死体…だといいなぁと勝手に妄想