さよならを告げる


本編 ...

さよならを告げる

一瞬の静寂、後に天高く舞い上がる鮮血は、彼女に業務終了を知らせた。業務と言っても、定職に就いている訳ではなく、雇用主の依頼通りの仕事をこなす、便利屋のようなものである。よく言えば。雇用主にとって都合の悪い人間を、"この世から都合の悪くなった人間が消す"。なんとも可笑しな食物連鎖が出来上がっているのだ。この街の住人は、この世から忘れ去られ、生きながらにして、屍のように這いずっているのだ。彼女もその一人であった。

ああ、思ったよりも楽しめなかったな、とその場に座り込んだ。いや違う。一瞬でも、高揚し、興奮し、耐えきれなくなったからこそ、我慢出来ずに頚動脈を狙ってしまったのだ。脱ぎ捨てた上着を身にまとい、血の染み込んだインナーを隠すようにチャックを口元まで上げた。口元まで隠れるこの上着は割と気に入っている。最近ではターゲットに近付くと口角が自然と上がってしまうのだが、それを隠してくれるこの上着は、我ながら機能的なものを選んだと自負していた。

「…楽しかったなー」
声に出した訳は、自身に言い聞かせている為であった。重要なことは、それが過去形になっていることだ。もう終わってしまった、と。普段、"仕事"と"趣味"は分けているのだが、やはり仕事だって"楽しく"やりたいじゃないか。殺されるのではないかという緊迫感。ジリジリと迫る死、相手の刹那に終わる生。当然、いつまでもこんな暮らしが出来るとは思っていなかった。いや、考えていなかった。先のことなど。考えずとも、ここにはこんなにも楽しいことがある。それで充分であった。

「さてっと!」
反動をつけ、一気に立ち上がる。風で飛ばされた帽子を探すと、探し物は路地にはなかった。コンクリートの湿った匂いが立ち昇る。雨か、濡れたって構わないが、急がねば街が傘だらけになって歩きづらい。早く帰ろうと、路地を後にした。

「お、」
探し物を見つけ、埃を払った。だいぶ傷んできたな、いつ頃買ったものだったっけ…、確かこの街に。そこまで思考を巡らせていた時だった。

「さや…か?」












「やー!じゃあ、乾杯しますかー!」
冷え切ったジョッキに波々と注がれたビールを一気に飲み干した。杯を乾かすとはよく言ったものだ。大昔では、信頼の証として飲み干すことを行動で示す名残だと、どこかで聞いたことがある。この"乾杯"は、果たして何に対する"信頼"だったのか。

「それにしてもさやか、おしゃれなお店知ってるね。私バーなんて初めてだよー」
そう?と笑ってみせたが、おしゃれなものか。あちらこちらに飛び交い、互いを監視するような視線。ポケットには恐らく護身用にしまわれているであろう得物。ヒソヒソと聞こえる声は、恐らく"自分たち"に関するものであろう。
2杯目を頼み、今度はゆっくりと喉に通しながら、喧嘩の延長線が始まってしまったら、この子にどう説明したものか。面倒だな、と他人事のように考えていた。

「さやかは今なにしてるの?」
「ん?私?今フリーターだよー。バーでバイトしながら金貯めてるんだー」
我ながらよくもまあ、ペラペラと嘘が流れ出るものだ。
「そうなの?あ、そうそうミキって覚えてる?あの子も今フリーターらしくって―」

しかし困った。何が困ったかというと、この状況である。"どうやら"この子は私の昔の友人らしいのだ。どうやら、と表現することで理解いただけるだろうが、自分にはまったくその記憶がなかった。別に昔酷い経験が原因でPTSDになり、その時の記憶がないだとか、そういう悲惨な過去がある訳ではない。むしろコッチ側の人間には珍しく、至って平凡な毎日を送っていた。では何故、記憶がないのだろうか。全くないという訳でもない。
確か学校ではよくつるんでて、一緒に居た部類の友達だった気がするんだよなー…名前なんだっけ…アキ…違う、リカ?なんか違うな。2文字くらいだったと思うんだよな、などと考え込んでいるとその女は周囲の友人の今現在の状況を説明し終え、今度は自分の話を始めた。

ああ、これはラッキーだ。お返しに○○ちゃんは今何してるの?という質問を投げかけなくて済んだ。

「大学通ってて、今日はサークルの帰りにここら辺で用事があったんだけど、サークルにね、気になる人がいてー」

聞いてもないことをペラペラ喋るな壊れたラジオかテメェは、とよく依頼主に怒られる自分だが、今ならその気持ちも少しだけ分かる。ふむ、他人のことを聞かされるっていうのは、こんなにも苦痛なのか。だが、この感覚、どこか懐かしくもあった。終わりがなく、始まりもなく、転々とくるくると回る風車の模様のように目紛るしい。意識をそこに集中させると疲れるので、よく意識だけを窓の外に集中させていた気がする。

それは、懐かしくも、妙な感覚だった。

今この場では、彼女こそが異質の存在であり、自分は背景と同じく、とても自然な側である。しかし、話に集中しなければしないほど、立場が逆転していくのだ。雑音は彼女に合わせてテンポを刻むし、彼女の口はゆっくり動いているのに、音は遅れて聞こえ、誰の声とも言えぬような音質に変わる。薄暗い照明が2階の住人の足音で揺れる様は、開幕を知らせるライトになった。

気持ち悪い。

昼に大したものを食べてはいなかったが、それでも胃の中が迫り上がった。短い呼吸では、酸素がうまく、吸えない。チカチカと赤か白か黒か、1色がそれぞれ猛スピードでスライドしていく。思わず、口元を抑えた。

「ねえ、平気?酔ったの?」
語尾だけしか聞き取れなかったが、恐らく具合が悪いのか、と心配した一言だったのだろうと予想を立て、ああ、少し酔ったかもしれない、と空笑いをした。お水でも飲もうかな、2つ頼む?と尋ねると、自分はもう一杯頼む、と答えた。

「そっか。なら、私が一杯ご馳走するよ」
いいよ私が無理に誘ったんだし、と断るが、被せるようにバーテンダーに向かって注文をする。

「いつもの、素敵なヤツ、お願いね」
珍しく、手のひらが汗で滲んでいた。









「あ、おっはよー」
陽気な声が発せられたが、今の自分には"安心"する要素には成り得なかった。
「…え、な…にこれ…え?え?」
自分の両手はワイヤーでベッドの柵に括りつけられ、両足も同じような状態になっており、手足をバタバタとさせるが、ワイヤーが肉に食い込むばかりであった。場所を確認しようと起き上がろうにも、足が固定されているため、上半身も起こせない。

「あ、ここ?ここはアタシの部屋ー。結構広いっしょ?んまー汚いとか散らかってるとかそういうとこには触れないでよねー」
ふふっ、と歯を見せる顔に女子らしく手を添えたが、その手にはナイフが光っていた。

「じょ、冗談やめてよ爽!何考えてんのよ!!ふざけないで!」
「あ、これ?やっだー!馬鹿だなー。これはさっき使ったから、シャープニングしてただけだって!小まめにやらないとすーぐ駄目になっちゃうからさー。それに、アタシあんまりナイフって好きじゃないんだよねー。血がすげー飛び散るじゃん?服につくしさー。それにすーぐ終わっちゃうしー」
今度は目の前の女が饒舌にナイフの説明を始める。罵声を浴びせようにも、冗談であることを待ち望むようになってしまっていた。だが、周囲に目が行くようになると、物騒なものが床や棚に置かれている。自分を驚かすためだけにこんなことまでするだろうか。否、彼女は今から自分を、

「ねえ、聞いてる?」
「ひっ」
ニタリ、と口角が下品に上がっている。目尻は下がり、奥では鈍く眼光が走った。こんな表情の彼女は、見たことがない。

「だ…誰…」
「は?」
「アンタ誰なのよ!爽じゃない!あんたは爽じゃないわ!」
きょとん、と笑顔が消え、次にはぷっと吹き出していた。

「あっはっはっはっは!ちょ、っと…笑わせないでよー!あんたがさっき言ったんじゃん。"爽"って」
「嘘よ…私の知ってる爽はそんな―」
「アンタさー、"爽"の何を知ってんの?性格?生い立ち?異性の好み?悩み?趣味?将来の夢?」
捲し立てるように言葉を並べ、血走った目が見開き、瞳孔が開いたまま、無表情だが、口角だけ上げている。ぞくぞくと悪寒が首筋を走る。

「それ、ぜーーーーんっぶ、造り物だよ。アンタに合わせてたの」
「……え?」
「あっれー?気付いてなかった?友達の作り方ってのはさー似たカテゴリの人間同士がくっつくもんじゃん?アンタ無害そうだったから、とりあえずアンタでいーやーって思って合わせてたんだよー。それが"爽"だと思ってた"モノ"ってこと。お分かりー?それに、」

ボソリ、と、自分ではない誰かに言った。

「爽は殺したもん」
「え?」
聞き返したが、返事はなかった。

「あーあ。なんでアンタって話しかけちゃうかなー。オツム足りなさすぎでしょ。ここら辺が治安悪いって馬鹿でも知って…あれ?アンタって途中で転校したんだっけ?ま、いっか」
くるり、と背を向け、金属音がする。その先にあるものは、決して人道的ではないモノだった。
やめて、と蚊の鳴くような声を出したが、笑い声で消されてしまった。





「アタシもさー、アンタみたいな人生送るつもりだったんだよ?適当な友達に囲まれながら、適当な学校生活送って、無難な点数取って、親に尻叩かれながら大学受験して、適当な学校通って、適当なサークル入って、適当な彼氏見繕って、適当な企業に就職して、適当な旦那見つけて、適当に子供産んで、そんで死ぬの。そのつもりだった…」
馬乗りになり、シミのついた天井を仰いだ。返事がない。

「おい、聞いてんのかよ」
パシン、と手のひらで顔を叩きつける。その反動でゴホッ、と咳き込み、口の中に溢れていた血を吐き出した。

「ねー、生ーきーてーるー?」
言葉に合わせながら何度も何度も叩きつける。叫びすぎたせいで、声は掠れ、老婆のような声だった。

「ひ、とごろし…」
「ハッ、何言ってんのー?まだ殺してないじゃーん」
ケラケラと腹を抱え、足をバタつかせる。

「あーーー!たっのしー!」
両手を広げ、震える自身の体を抱く。

「こういうのもたまにはいいよねー!あーでも部屋まで運ぶの結構疲れるんだよねー。やっぱいつも通りの路地でヤった方がいいかなー。ねーねー、どう思うー?」
拳を突き出し、インタビュワーの物真似をしてみせる。

「あん…た、…」
「え?なになにー?よく聞こえませんよお客さーん」
耳に手を添え、近づくと、
「サヤカじゃない…」
「………あ?」
興が冷めたように、すっ、と表情がなくなる。目だけが、夕闇に反射し、光っていた。

「アンタそればっか。バグってんの?頭はまだそんな傷めつけてないのにー?」
ポンポン、と頭を小突く。しかし、女は続けた。

「さやかは…確かに居た…あ、んた…が…"嘘"にした…」
だらん、と腕が下がる。全身に力が入らない。酒場での、眩暈再び襲う。

「なに…それ。なによそれ」
ギリギリ、と歯を軋ませ、表情筋はピクピクと痙攣する。サイドテーブルに置いたナイフを取り、全身を使い、女に突き立てた。

「なんだソレああ!?うぜーんだよ!テメェのユルい頭もアソコも切り取って例の男に送りつけてやろうか!!聞いてんのかよ!!全部全部てめえのせいだろうが!!テメェさえいなかったら!!お前さえ!!こんなに、こんなに殺してるのに!!"爽"!!なんでアンタは死なないの!?こんなにたくさん殺してるのになんで邪魔すんのよ!?目障りなんだよぉ!!アンタさえいなくなれば!!アンタさえ…アンタさえ!!!!」
















白い羽根が舞っていた。窓から入ってきたのかと思ったが、どうやら違うらしい。滅多刺しの結果、枕も刺していたようだ。羽根と肉と血で白と赤と黒が目の前に広がっていた。

ノックの音。
音の方向を見ると、仕事の相棒が居た。

「あれー?めっずらしー!今日は玄関から来たんだー!」
コクリ、と頷く。足音にも気付かないなんて。コツコツ、と今頃になって近づく足音が聞こえる。
ベッドサイドまで近寄り、ペタン、と座り込み、首を傾げる。口はだらしなく開いている。何か言いたそうだったが、元来この男は喋りたがらないし、喋ったかと思えば素っ頓狂なことを話す。

「仕事…もう行かないと」
そんな男が珍しく、まともなことを話した。実際、男が仕事のことを話さなければ、その件さえも存在を忘れてしまっていた。

「え?マジ?もうそんな時間?っべー!ちょ、待って着替えるわー」
男の目も気にせず、その場で衣服を脱ぎ捨て、タンスをひっくり返す勢いで着替えを探す。その間も、男は口を開けたまま、ベッドを見つめていた。

「おっし、これでいいわ。さ、行こうアヂア!」
帽子を深く被り、上着を閉めようとすると、その手を止め、無骨な手でゴシゴシと顔を拭う。異様に強い腕力を工夫して調節したつもりらしいが、それでも痛いものは痛かった。

「い、いで!いだ!アヂア!あんたさー、女の子の顔拭うんだったらもっとジェントルマンらしくできねぇの?ハンカチ出すとかさー」
それにしても今日の男は妙である。喋る上に、まともなことを言うし、果てには顔を拭うとは。そんなに派手に血が飛び散っただろうか。拭った手を見ると、血はついていなかった。代わりに濡れていたのだ。ああ、なるほど。そりゃあ、まともにもなるか。

「さ、行こ行こ!あ、帰りに硫酸買いたいんだけど、アヂア余ってたりしない?て、ちょ、先行くなって!一緒に行こうよー!」
慌てて追いかけ、ドアを閉める一歩手前でピタリ、と動きを止めた。小さく、男には聞こえない声で、呟いた。




「ばいばーい。爽」

迂闊にも昔の知人に見つかってしまう話。

sowは時系列がたまにおかしくなって混同してしまうので、何度も"爽"を殺してるつもり。
だから同じように昔の知人も、もう何人も殺してるかもしれない。でも覚えてない。