drop of impurities


knight ...11

drop of impurities

濁り、
 澱み、

何も見えなくて、

耳を塞いで、
 目を瞑って、
  口を閉じていれば

澱みは深くに沈んでくれると。
drop of impurities








「ふぅ…だいたい片付いたか?」

辺りを見回すと、ダンボール…の代わりに小さなサイコロくらいの大きさの立方体が転がっていた。魔界で荷物を運ぶ時に圧縮するものの残骸らしい。

自分の新しい部屋となる空間を見つめる。昨日まで使っていたものが、ただ並べ方だけ変わっただけなので、"引っ越した"という感覚は特になかった。空月にとって、引越し自体初めてだったので、内心わくわくしてはいたが、荷物を整理することに疲れ、それどころではなかった。荷解きをしながら、なんでこんなものとっておいたのだろう、というものに気を取られ、作業が遅れてしまったのだ。


「空月、まだ終わっていなかったのか」

作業をするということで、一つに束ねている髪が、違った印象を見せる。

「あのなー、いきなり引越しなんて言われてすぐできるかよー。そういう聖夜は終わったんだろうな?」

のろまと言われたようで、悔しくなり、お前はどうなのだ、と逆に尋ねる。すると、軽々と答えは返ってきた。

「当たり前だ。1階の方も全部終わったぞ」
「ハ!?!?」

冗談だろう、と慌てて1階に降りると、必要最低限ではあるが、上質な家具が綺麗に並べられていた。まるでモデルハウスだ。洒落た小物まで飾られている。

「マジかよ…家具とかどうやって動かしたんだ?」
「"動かす"?」

しばしの間、沈黙が流れ、自分がおかしなことでも聞いたかと不安になる。すると、聖夜の方が、ああなるほど、と納得し始める。

「空月、貴様まだ浮遊術も使えないんだったな」


どうやら、家具など重いもの、いや、物はすべて"浮かせて動かした"らしい。言われてみれば、ここは魔界であって、魔法は一般的なものであり、どんな所にも下界との違いが見える。下界と自宅しか往復していなかったし、本格的な授業などまだ入っていなかったので、すっかり忘れていた。

「むしろ貴様…ベッドや棚は自力で動かしたのか…?」
「ん?いやーなんか位置がいまいちでよ。何回か配置変えたりしてみたんだけど…」

今更驚くことではないと思いながらも、目の前の男の馬鹿力加減に呆れる。


「なーなー!そのふゆうじゅつって奴教えてくれよ!」

大型犬のように尻尾でも振りそうな勢いで後ろについて歩く空月を適当に相手をしながら、リビングの席に着く。

「まずは夕飯にしよう。空月、何が食べたい?」
「んー…引越しっつったら引越しそばとか?」

ハハ、ありきたりか、と笑って誤魔化すが、聖夜は真剣に、聞いたことのないメニューについて考えていた。

「ヒッコシソバ…聞いたことがないな…そもそも、下界の食べ物が"注文"できるか分からんな」
「……注文?」
「ん、ああ…注文というのはな、メニューを頼むと運んで来てくれるサービスで―」
「馬鹿にしすぎだろ!注文くらい知ってるわボケ!!!!!俺が言いたいのは、まさかお前、電話で頼んで30分くらいですぐにあっつあつの料理が出てきて食器は玄関に置いておけば片付けてくれるなんて生温いサービスをこれからしようとしてる訳じゃねえよなってことだよ!」

怒涛の熱弁が終わり、真意が解らず、それ以外の意味に聞こえたのかと、深読みさえしてしまいそうになる。

「それ以外に、食事をする方法があるのか?……もしやシェフを直接呼ぶと…?」
「お前に自炊という選択肢はないのかこのゆとり!!!!」
「ゆっ…なんだその言葉は!馬鹿にしているのか!」

聞いたこともない言葉で罵倒されていることに気付き、テーブルを力一杯叩く。聖夜としては当然のことを言ったつもりらしい。

「いいか!料理ってのはな、自分でするからうまいんだっつーの!」

ドカドカと足音を立てながらキッチンへ向かい、勢いよく戸棚を開ける。静かになったと思ったら、狂ったように全部の戸棚開け始める。


「なんっっっっっっっでこの家にはフライパンのひとつもねえんだよ!!!!」
「…ふら…?なんだそのパンは?」
「パンはパンでも…ってそういうクイズじゃねえよ!のせんな!」

解せない言葉を連ねながら、今度は未開封の荷をチェックし始める。


「おい、この開けてねえのはなんだ!」

カチ、と軽い音がすると、宙に何個もの道具が出現し、ふわふわと床にゆっくり着地する。

「ほらここにあるじゃねえか!なんでこれだけ開けてねえんだ!」

まるでこの世で最もやってはならぬことをしたとでも主張したいようで、空月の育ちというよりも、自分の育ちが非常識であるような気持ちにさせられる。


「いや、開けてはみたのだが、何に使うか分からなくて…だな…」
「ああ!圧力鍋まであるじゃねえか!中華鍋も!こっちは包丁一式!」

おもちゃでも手に入れたように道具を一つ一つ確認しながら、名前を挙げている。ひとつも分からない。


「あー…つーことは食材ひとつもねえってことか…」

仕舞いには、ため息まで吐かれる。なんだろうこの敗北感は。浮遊術を教えてやらなかったことが余程悔しかったのだろうか。仕返しをする幼稚な子供のような表情を見せる。

「しょ〜がねえなぁ〜!俺が買いに行ってやるか〜まったく聖夜はしょうがねぇな〜」
「クッ…」

鼻歌交じりに扉を開け、キッチン用具を洗っておくように指示し、しつこくも、洗い方は分かるか、と尋ねてきたので、間髪入れずに、さっさと行けと大声で答えた。






「あーおもしれー」

クックッ、とまだ笑いの尾は長い。聖夜の思惑通りに浮遊術を教えなかった仕返しなどではなく、自分が何かを聖夜に教えるという立場がおかしくてたまらなかったのだ。優越感よりも、慌てふためき、怒られた子供のようにしょげている表情も、どれもおかしく、面白かった。客観的に見れば、好きな女子をいじめている幼稚な男子ということに、本人は気付いていない。


「お、スーパーこれか。近ぇな」

さて今日の飯はどうするかな、などと自然にカゴを取り、パッと一面を見る。すると、配列などは見慣れたものだが、内容が見たこともないような奇怪な品ばかりであった。まるでRPGの世界での買い物をしているような感覚になり、手当たり次第にこれはなんだと手に取り、くるくると回したり、天井近くまで上げ、下から見上げたり。


「あのー…お客様ー」
「ハッ!す、すいません!!!!!ええとあの珍しくて…ってええとこっちに今日越してきたとかそういう意味じゃなくて…えっと…田舎から来ましたもので!」

頭の悪そうな弁解を並べ終わり、笑顔で謝罪すると、ブッと吹き出す音。

おい、いくらなんでも笑うこたぁねえんじゃねえのかよ、と深々と下げた頭を上げると、見慣れた顔。


「は…クロ?」
「なぁにが『田舎から来ましたものでぇ〜』だよ!!一人で盛り上がって商品見ちゃって恥ずかしいなお前!アハハハハハハ!!」

腹を抱えながら、指を差し、先ほどの自分の真似をする。


「テメェ!覗いてないで声かけろよ!!」
「いてて!だから今声かけたじゃん!」

恥ずかしさを誤魔化すためにヘッドロックをかまし、クロノスの首を絞める。すると、いつものセーターではなく、Yシャツとエプロンをつけていることに気付く。

「なんだお前、料理中だったのか?」

どこのサザエさんだよおっちょこちょいだな、と鼻で笑うが、逆に同じように笑われてしまう。


「あのなー、お前の目は節穴なワケ?」

と、エプロンの中心にプリントされている文字を見る。なんと、表の看板に書かれている文字と同じである。

「え?店員?マジ?」
「そ、バイトしてんの」
「つーかお前、仕事中に私語していいのかよ!さっさと笑顔でも振りまいておけよ」
「ハ?笑顔?別にそんなん適当でいいじゃん」

仕事中に友人に話しかけられるくらいに、アルバイトとは生易しいものだっただろうか。それとも、魔界ではそんなものなのだろうか。なんだかどうでもよくなり、商品についての疑問を解決すべく、陳列されている不思議な形の品の説明を求める。


「何?お前が料理すんの?」
「え、そうだけど?聞いてくれよ、聖夜なんてフライパンも知らねえんだぜ?有り得―」
「はあああああああああああ!?!?!?なんでお前が聖夜ちゃんに手料理作ってあげちゃうみたいな流れになってんの!?!?!?」


店内に響き渡るかと思うほどの大声で問いただす。

「え、あの…えと…いや…一緒に…その」
「一緒に!?!?!?」
「その…住むことになりまして…」

改めて事実を述べることが思ったよりも恥ずかしく、自分で言いながらも紅潮する顔を片手で覆う。その様子さえもクロノスの逆鱗に触れたらしく、胸倉を掴んだ手が震え出す。


「お、おま…お前…お前ってやつは…この童貞がああああああああああああああああ!
「童貞は関係ないだろ!!!!」

これ以上個人情報を流されてはたまったものではない、と別の話題を必死に探す。すると、丁度良く、見覚えのある栗色の髪。


「お、おいクロ!あれって心愛ちゃんじゃね?」
「え?どこ?」

何事もなかったかのように、パッと手を離し、指差す方向を探し始める。本当に、女が大好きなのだな、と心底呆れていると、今度はニヤニヤしながら話しかけに行こうと提案する。

何故自分まで、と反論したが、聞く耳を持たず、どこにそんな力があるんだろう、というくらいの力で引っ張る。非力さを常日頃アピールする割には力があるではないか。
しかし、角を曲がる手前でピタリと動きが止まる。おかげでクロノスの頭が胸辺りに衝突し、嗚咽する。


「お前な、急に止まるなよ」
今度はなんの嫌がらせだ、と顔を覗き込むと、いつものヘタレ顔でガタガタ震えている。

「な、なあ…なんだあの筋肉ダルマ…」


指がゆっくり差す方向には、"筋肉ダルマ"という表現は決して言い過ぎではないくらいの人物が立っていた。筋骨隆々とはこの男のためにあるように思える。空月も育った環境柄、現場で鍛えられた筋肉を持つ屈強な男を多く見てきたが、そんなものからはかけ離れ、桁違いであることが分かる。しかも、2メートルは優に超えている。このスーパーの天井はこんなにも低かっただろうか。暗めの紫色と薄紫色のコントラスト。左頭部には刺青が刻まれ、キリリと細く釣り上がる目を一層きつく見せ、奇抜な髪型がさらに威圧感を生み出す。


世の中には色んな人がいるからな、と何も触れずにその場を離れようとするが、またも指を差すので、今度はなんだ、と若干苛立ちながら再度見ると、例の大男に隠れるような位置に心愛がいるのだ。


「心愛ちゃん!あ、危ないそんな男の近くにいたら誘拐される!」

震える手であわあわと手を伸ばしたりおいたりする。勇んで止める訳でもなく、どうやら頭の中で助け出すシュミレーションをしているようだ。

「つーか俺らが話しかければ、あそこから離れるんじゃね?」
「!いや…ちょっと待て!」

身を乗り出し、ああ!と小声ながらも悲鳴を上げる。

なんと、心愛は手に持っていた商品を目の前の男に手渡したのだ。いや、太い腕が奪い取ったようにも見える。

「アイツ…俺の心愛ちゃんになんてことを!」

お前のものじゃねえよ、と心の中でツッコミを入れておいた。なんだか迂闊に間を入っていける雰囲気ではなさそうだ。心愛は何かを必死に伝え、それに対し、男は仏頂面で無視を決め込んでいる。

この光景、前にもどこかで見た気がする…


「ああ、あの時か」
「あん?なんだよお前もなんか秘策考えてくれよ俺の心愛ちゃんの身に危険が―」
「いや、前もさ、ヨゼにあんな感じで話しかけてたじゃん?屋上で」
「ああ、そんなこともあったな…でもアレはどう考えても違うだろ!見てわかんねえのか!?絡まれてんだよ絶対!」
「いや…知り合いかもしんねえじゃん…」
「どこの世界にあんな愛くるしい少女と巨漢の筋肉の塊が出会う機会があるんだ!?!?ねえだろ!?!?」
「……父親とかさ、」

それはない、と力強く拒否をされる。果たしてウチの母親を見ても同じことが言えるだろうか、と心配になってしまう。

「とにかくさ、助けるとかそういうんじゃねえけど、心愛ちゃんに話しかけて、様子見て判断すればよくね?おーい心愛ちゃーん!」

クロノスの了承も得ず、元気よく挨拶をすると、二人同時に振り返る。心愛が、小声でこんばんは、と返すが、その声を掻き消すように、低い声が上から降って来る。


「お前ら…なんでここに居んだ?あ?」

190センチの空月でさえ、見上げる。傍に行くと威圧感がまるで違う。威嚇のために剥き出した牙に噛み殺されそうな勢いである。

「え、えーと…俺、今日近所に引っ越してきて、心愛ちゃんもここら辺なの?」
「おい、俺が話しかけてんだろぉが。シカトこいてんじゃねえぞクソガキ」

あえて、心愛に話しかけるが、ものの見事に邪魔をするように遮られる。


「えーと、どちら様でしょうか?」

ひきつる笑顔で尋ねると、心愛が小さな手で男のTシャツの裾を引っ張る。

「勒風ちゃんもう止めてよ…ご、ごめんね空月くん…気にしないで―」
「ろ、」
「ろっ」
『ろっぷぅううううううううううううううう!?!?!?!?』


半月型の目、尖る下の犬歯、この傲慢な口調。思い当たる節はいくつかあった。しかし、誰があの(キュートとも言い難い風体だが)テディベアと目の前の筋肉の塊を連想させることができるだろうか。

吹き出したのは、二人同時であった。一回の笑いでは収まらず、空気を吸えば吸うほどに笑いがこみ上げ、呼吸困難になる。肺が痛くなる頃にはその場に突っ伏してしまい、震える手で片腹を抑える。

「ちょ…マジ…助けて笑い死ぬ……」
「ブハッ…ヤバ…俺…ウッハハハハハハ!」

最早言葉にはなっておらず、切れ切れに何か言うが、その度に勒風の顔を確認し、同時に吹き出す。さすがに、こんなことを目の前でされ、黙っていられるほど、勒風の堪忍袋の緒は固くはなかった。

「ブッ殺すぞクソガキ共がアアああああああああああああああああああ!!」

怒号と共に、二人は空中に持ち上げられ、天井すれすれに身体が位置する。青筋が何本も浮き出している顔を間近で見ると、さすがに笑い過ぎてしまった、と青ざめるが、もう遅かった。

「絞め殺されるのと噛み殺されるのとどっちがいい?ああ?」

謝罪を述べても、手の力は弱まらず、空月でさえ、引き剥がせないでいる。コンクリートで固定されているかのように、ガッシリと、逃げられない。

グ、と力が篭る瞬間、心愛が下から懇願する声がやっと届いたようだ。

「勒風ちゃん!もう止めてよ…二人が可哀想だよ…」
「止めんな心愛…コイツら前から俺に舐めた態度とりやがってここで一発絞めてやらなきゃ気が収まらねえ」

一発というか、その一発であの世に行けそうだ、と打開しようもないこの状況の中、空月は呑気に考えていた。クロノスはまだ何回も謝罪をしている。


「え、えっと…じゃあ…私が怒っておくから…ね?それならいいでしょ?」

なんということか。どう転んだらそんなおいしい状況になれるのだろう、という展開であった。それが良い、と思わず二人が呟くと、火に油を注いでしまったようだ。更に力が篭る。

「え?だ、だめ?大丈夫だよしっかり怒るから!」
「…ごちゃごちゃうるせえな…お前どっか行ってろよ」

気が散る、と睨む。実際、心愛の言葉ひとつひとつに反応し、揺れ動く心境が手で伝わってきていた。二人にとって、心愛の言葉が最後の頼みの綱であった。


「じゃ、じゃあ!もう勒風ちゃん学校に連れて行ってあげないよ!」

今度は怒ってみせるが、ものともしない表情で、あーそうかよ、とだけ答える。

困り果てた心愛は、辺りをキョロキョロ見回し、何か良い案はないか探していた。二人はどんどん強くなる握力に成す術がなく、三途の川を渡りかけていたその時であった。


「そうだ勒風ちゃん!あの…あれしてあげるよ!ひざまくら!」

ビクンと、指が不器用に開く。突然の変化に、何事だ、ととりあえず近くにある勒風の顔を見るが、耳まで赤くなり、本当に何事だ、と意識が覚醒する空月とクロノス。

「えっとあと…あとは…ちゅーしてあげる!それから…」

真っ赤な顔から湯気でも出そうな勢いであり、今度はわなわなと両手が震え出す。

「あ、そうだお風呂で―」
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!馬鹿かお前は!!こんな人が多い場所でそんなこと口走ってんじゃねえぞコラアアアアアアアアアアア!!!!」
「え?…でも、あれすると勒風ちゃん喜―」
「あああああああああああああああああああうるせえうるせえええええええ!いいから黙れ!!クッソ!」

両手は二人を解放し、退散するために心愛を抱き上げ、子悪党のような台詞を吐いて去ってしまった。

ああ、助かった、と首を撫でていると、クロノスが四つん這いの格好のまま、俯いて動かない。大丈夫か、と肩に手をかけると、


「クソッ…ちくしょう…お風呂でなんだよ…続き…続きはなんだよぉ…」

ダンダン、と心底悔しそうに床を叩く。



「お前って意外とガッツあるよな」






その後一通りの商品の配置と、今晩の献立を一緒になって考え(その間業務をする素振りすら見せなかった)、会計をしようとレジへ向かった。カゴの中身を見つめ、この食材はどうやって調理すればいいのだろうか、聖夜が知ってるとは思えない、などとあれこれ悩んでいると、レジの会計終了した音が鳴り響き、抑揚のない声が、値段を発する。
ああ、財布財布、とゴソゴソと遅れながらもポケットを探り、会計の値段を確認すると、


「5430円!?!?」
値段も確認せずにカゴに入れてしまったことを悔いる。足りるだろうか、と財布を目一杯開き、札を数えていると、

「エンじゃなくて、ヤーガ」
とまた抑揚のない声が聞こえる。

「え、ヤーガって何―」

なんですか、と聞くつもりが、言葉に詰まる。ついでに、息も詰まった。学校の近くだし、知り合いが多いのは納得が行く。今日だってもう3人のクラスメートと出会ったのだから不思議ではない。しかし、よりによって、何故この人物にこのタイミングで会ってしまうのだろう。


「る、…え?ルカ…さん…ですか?」
「ヤーガってのは魔界での通貨」

初対面でお見合いでもするように、不確かな単語を口にし、さん付けまでしてしまう。返事は、そうだ、とも久しぶりとも言わずに、通貨の説明に入っていた。

翡翠色は相変わらず、真っ黒なワッチキャップに隠れており、群青の瞳は自分を捉えてはいない。


「…えと…あの…ヤー…ガ?」

返事はしてくれないようなので、今現在の問題を解決すべく、通貨の話に戻る。


「外部任務証は?」
「あ、えっと…」

確か、りんねからの荷物の中に、入っていたのをどこかのポケットに突っ込んでおいた気がする。案の定、上着の左ポケットに乱暴に入っていた。あったあった、と取り出すと、無言で任務証を取り上げ、何かの機械に当てる。すると、会計の5430という数字が一気に0になる。
バーコードのようなものにもなっているのか、と関心していると、ありがとうございました、とまた抑揚のない声で、カゴを横へ移動した。

「ル、ルカもここでバイトしてんのか?いやークロの奴も居てさーすげービックリしたよー」

不自然ながらも、何か会話をしなければ、と愛想笑いも付け加えるが、目も合わせずに、次のお客様どうぞ、と業務を淡々とこなしていた。

「おい!返事くらいしてもいいだろ!露骨にシカト決めやがって…お前が俺のこと嫌ってもなぁ、俺には何も関係ねえからな!!!!」

肩で息をするほどに、声を張り上げ、決め台詞を放つ。やってしまった、と覚醒した頃にはもう遅く、店内は静まり返ってしまった。

他の店員まで業務を止め、二人を凝視する。

面倒事に巻き込まれた、とでも言いたげに、ボリボリと帽子ごと頭を掻く。

「あのさ、別に―」
「お前がラサロか?」

振り返ると、空月の後ろに二人の男が居た。明らかに、スーパーに用のある輩とは思えず、背中に大きな獲物さえ持ち込んでいる。聞き覚えのない単語が空月の向こう側に位置するルカに投げられ、チラリ、と確認すると、またも抑揚のない声で、そうですけど、と。

「聞いた通りの風貌だ、間違いねえ」
「おい、あんちゃん、悪ぃけど、俺らとちょっとお話しようや」

ニヤニヤと下品な笑いを浮かべながら、乱暴にルカの細腕を掴み上げる。これは不味い。先ほどの勒風とのやり取りのような冗談(だと願いたいが)ではなく、これは何かの事件にでも巻き込まれてしまいそうだ。怒りはどこへやらで、空月はどうやってこの状況を抜け出すべきか必死に策を練るが、早々浮かぶものでもなかった。連れて行かれそうな張本人は呑気にも、エプロンだけ脱いでも良いかと尋ねている。


「お、おい!」
行かせるものか、と反対の手首を掴む。すると、怪訝な顔つきで、痛い、離せと文句を垂れるではないか。

この野郎!と怒りが再沸騰し、手放してしまった。ああしまったと追いかけるが、今度は自分が掴まれてしまった。


「クロ!」
「空月、こんなとこに居たのかよ!お前ってほんとラッキーだな!」
「はぁあ!?!?そんなことより、警察みたいの呼べよ!ルカが―」

掴んだ手首を連れて行かれ、店のガラス張りに向かい始める。

「早くしねえと前の席取れねえぞ!」
「はぁああああ!?!?」

どこに席があるというのだ。周りを見ると、心配するどころか、それ急げ、と各々が窓ガラスに張り付くように集まって行く。外では少年と、強面の輩が二人、という異様な雰囲気にも関わらず。
いい加減、意味が解らず、手を振りほどく。


「おい!ふざけてんなよ!!あいつ等どう見たってカタギじゃねえだろ!助けねぇのかよ!?」
「"助ける"?お前、何言ってんだ?」

間抜けな顔で返事をする。今度は、何かを察したように、得意げに解説を始める。

「いいか?ああいうのは、ここのスーパーじゃあ、もう恒例行事なんだよ」
「はぁ?」
「ここら辺さ、治安はまだいい方なんだけど、それでも強盗とかある訳よ。そこで、ウチじゃあ、ルカの奴をボディガード代わりに雇ってるって訳。ほら、」

指が差す方向にむいた頃には、既に"試合終了"していたらしく、二人の大の男が地面に転がっていた。周囲では拍手の雨が振り、金まで投げている連中もいる。

「ま、ああやって、何回も撃退してたら、噂が噂を呼んでチャレンジャーまで出てきて、そういう連中にとってちょっとした有名人らしいぜ?んで、それ見たいが為にここにわざわざ来る客までいんの」

それにしても、もう少し長引かせろと言ったじゃないか、とブツブツ不満を並べていたが、空月は歓声を浴びる人物をただひたすらに眺めていた。


こんなにも遠いのか、と。

修羅の授業で、大きな差を見せられ、でもそれは本当に実力の一部で、今だって、実力の何分の一も出していないかもしれない。

外の電灯が、ルカを照らし、空月は拍手の渦に飲まれていった。







「よ!お疲れ様ですセンセー!」

ジュースの缶を片手に、もう片方の手をひらひらしてみせる。
まあ座れ、とその手は隣の空間を示した。


「早番じゃなかったっけ」
「居候ってのは、家に居づらいもんなのー」

飲むか、とどこからともなく、もう一本のジュースを差し出す。どうも、と礼の込もっていないような返事をする。


「で、なんの話?」
「おっと、単刀直入に言って欲しい?」

にこやかに笑ってはいるが、琥珀色は形だけ細くなった。対して群青色は真っ直ぐ前の一点だけを見つめている。


「うん、まあ、疲れてるし」

パキン、と軽い金属音が公園内に響く。カラフルな遊具は何一つ活動しておらず、風でブランコがかすかに揺れているだけだった。


「お前がやったんだろ。空月の外部任務課配属」
「正確には、アリス。でも俺が頼んだ」

直後、鈍い音と、缶が何度か地面に跳ねる音が響いた。

ルカの頬は腫れ、口の端を切ったようだ。鉄分の味が気持ち悪く、唾と共に吐き出した。

「珍しいな、お前がキレるなんて」

まだ出続ける血を指で拭い、それを眺める。今度は琥珀が目の前にまで来た。


「ふざけんなよ。空月がお前に何したってんだ?」
「…何も」
「死ぬかもしれねぇんだぞ」

声は震えていた。抑えきれぬ怒りに、興奮に、ぶつけようのない気持ちに。

「ムカついたんだ」

からっぽな群青色は、何も見ていなかった。クロノスの怒りなど、存在しないかのように、遠くの思い出話を話すように。

「あいつには、"選ぶ"権利も自由もあるくせに、危険も顧みずに選んだ。それが無性にムカついたんだ」

初めてと言っても良いくらいだった。彼が自分の気持ちを吐露することが。いつの間にか、手の力が弱まっていた。

「幼稚な方法だとは思ったけど、そん時は、なんか抑えきれないくらいにムカついててさ。信じてくんないと思うけど、今じゃ結構後悔してるよ」


『お前が俺のこと嫌ってもなぁ、俺には何も関係ねえからな!!!!』



「そういうの、"ムカつく"じゃなくて、"羨ましい"って言うんだよ…」

手はついに離れ、再び拳を握っていた。今度は制裁のためではなく、気持ちのやり場を手に与えたのだ。

「ああ、そっか。羨ましいか…うん、そうかもな。クロノス」

背を向け、歩き始めていたが、ピタリと止まる。


「そんなに心配しなくても、"実力がない"って分かった時点で、任務証は剥奪される。そんなに甘くはないよ、執行部は。ただ、」

立ち上がり、服についた土埃を払う。またどこか遠くを見つめる。


「ちょっとおかしいんだ」
「おかしい?」
「言い訳するつもりはないけどさ、推薦書には3人署名が必要で、一人は勿論アリス。もう一人はあの会長。まあ、この人は、面白そうだから手元に置きたいだけだろうけど、」
「もう一人は?」
「キルスティ=E=リンドロース」


嘘だろう、と声を荒げてしまう。

「そんな筈ねえだろ…あの人だって馬鹿じゃねえんだし…空月に何かあったら、責任問題になるのはあの人自身じゃねえかよ!」
「うん。だからおかしいって…」

見当もつかない。学園一の権力者であり、責任者でもある人物が、実力もない、しかも"人間"を推薦した。もし、事故やそれ以上のことが起きれば、露見しない筈もない。大問題になる。そんな博打を打つだろうか。


「あいつのこと、よく見てやった方がいいよ」

忠告は、一滴の雫となり、水面の波紋のように、徐々に、徐々に広がっていく。この波紋が今以上に大きくなることなど、クロノスの範疇外であったということは、今はまだ、分からなかった。




濁り、
 澱み、

何も見えなくて、

耳を塞いで、
 目を瞑って、
  口を閉じていれば

澱みは深くに沈んでくれると。
drop of impurities

それでも、
世界は僕を起こす。

スーパー編。勒風の本当の姿は筋肉ダルマです。
クロノスは何やらルカにおこのようです。
ブログにてあとがきっぽい何か→ブログ

相関図